幸せの模索

私たちは、なぜ生まれ、なぜ生き、そしてなぜ死ぬのか。
誰もが一度は、このような疑問を持ったことがあるのではないでしょうか。
そして、生まれたからには、幸せを望まない人は、一人としていないことでしょう。
また、それを模索することが人生といっても過言ではありません。
仏教の開祖、お釈迦さまも、私たちと同じく幸せを追求し、その答えを求める長い旅に出られました。
そして、見出した答えを「悟り」と名づけ、悟った人を「仏」と呼んだのです。

幸せという名の優越感

多くの人が抱く幸福感とは、どういった心持ちなのでしょう。
衣・食・住が、豊かになることでしょうか。
言いかえれば、多くの物、高価な物に囲まれた生活なのでしょうか。
これが幸せのモデルであれば、有限の物質を無限の欲望で追いかけ、結局人々や国家の間で様々な争いが起こることは、想像に難くありません。
結論として、小さな幸せが大きな不幸せに飲み込まれてしまうのは、避けられないことでしょう。

また、他人より多くの物を揃えることが幸せなら、必ずスケープゴートが必要となります。
それは、自分より不幸な人がいない限り、幸せを感じることができないと言うことになりかねません。
つまり、幸せのためには、生贄(いけにえ)が不可欠な要素なのです。
生贄が多ければ多いほど、セレブリティーの格付けは上がり、幸福感は増すともいえます。

一方で、災害時に被災者の生活を見て「気の毒な生活をされているね。でも、我々の住んでいる所は、災害も無くて良かったね」とポツリと呟く何気ない一言も、優越感の表れかもしれません。
幸せとは、このような優越感の中にあるのものでしょうか。

仏教と幸福

お釈迦さまは、釈迦族の王子として生誕されました。しかし、宮中の栄華な生活を捨てて出家されたのは、その贅を尽くした生活に幸せはないと確信されたからに他なりません。
お釈迦さまは、人々に真の幸せのモデルを教えることを目的として、この世に出現されたのです。

そして、それをリアルに説いたのが経典です。
幸多き人生を送るためのアドバイス、それがお経といってもよいでしょう。
つまり、幸せを思考する主体者は自己ではなく、お釈迦さまとするのが仏教です。
この仏の声に真摯に耳を傾けることから、幸せの模索が始まります。
そう考えると仏教とは、真の幸福の体現者であるお釈迦さまの人格を教えることといってよいでしょう。

また仏教とは、お釈迦さまが説かれた幸福になるための教えであり、私たちがお釈迦さまと同じ幸福を享受することを「成仏」と言うのです。

いずれにしても「教え・経典」を知ることを抜きにして「幸福」を語ることができないのが仏教です。
そして、幸福の体現者であり、その道を説くお釈迦さまを信じ仰ぐことから「信仰」は始まります。
つまり、教えを聞くことが信仰の第一歩なのです。

信仰即幸福

信仰とは、自己の欲望に根ざした幸福観を達成するためのものではなく、仏の祈り、仏の願いをかなえることを目的とします。
それにより、願わずとも自然に真の幸福は得られると仏は説きます。
仏の願いに生きるその瞬間、瞬間に幸せは約束されるというのです。
「信仰の中に幸福があり、信仰のために人生がある」とは、そのことを意味しており、信仰が幸福の手段で無いことが分かります。

そのように仏の願いを実践する人生は、もはや信仰を超え、信心と呼ぶべき段階になっているといえます。
それは、仏を対象として信じ仰ぐという段階から、仏と同化することを目指すステージへとステップアップするからです。

仏教が説く苦の解決

苦悩無き人生を誰もが望むことでしょう。
しかし、苦しみの無い人生を幸福と仮定するなら、幸福とは夢物語でしかありません。

仏教を一言で言うと「苦の解決」と表現できます。。
その内容は「苦」の原因と実体、そしてその構造を詳細に分析していることです。
その基調となるのが「因果」の教えです。

おおまかにその内容を整理すると、以下の四つのカテゴリーを基本としています。
1.「苦に対する現状の認識」 〈果〉
2.「苦が生まれる原因の究明」〈因〉
3.「苦が解決した理想を設定」〈果〉
4.「苦を解決する方策と実践」〈因〉

苦の内容にもよりますが、ともすれば私たちは苦に対し否定的なイメージを強くもっているのではないでしょうか。
しかし一方では、もしも苦を肯定的に受け止めることができたならという願望もあるはずです。
その方が、何事にもポジティブになれるわけですから。

苦即楽

実は、悩むこと自体、問題を解決しようとするポジティブな心の働きであると仏は説きます。

あらゆる経典の中で古来より『妙法蓮華経〈法華経〉』は「お釈迦さまの出世の本懐(ほんがい)」「仏教を統一する経典」といわれます。
その名に、仏教のシンボルフラワーの「蓮華」が与えられていることは、とても重要な意味を含んでいるのです。

まず、池に咲く蓮華を想像して下さい。
仏教が説く因果によって蓮華を解釈すると「蓮」は実を「華」はそのまま花を表します。
そして「蓮」は〈果〉を「華」は〈因〉を示すものと捉えます。

一般的な植物は、花〈因〉が咲きその後に花が散って実〈果〉をつけますが、蓮華は華〈因〉と蓮〈果〉が同時に存在する植物です。
それを「苦」と「楽」に配当すると、一般的な植物は花〈因〉と実〈果〉に時間の差異があることから、「苦」が去った後に「楽」があると理解することができます。

しかし、蓮華は華〈因〉と蓮〈果〉に時間の差異がなく同時であることから「苦楽」は「同時」であると説きます。
相対すれば、原因と結果は二つに分類できますが、蓮華が絶対を表すという観点から、本来は一つのものであることを示すのです。
つまり、現象では苦楽は二つのようにみえても、その実体は表裏一体のものと考えれば、少しでも苦楽のニュアンスは変わってくることでしょう。

差別即平等

人間の思考は、苦・楽、善・悪、敵・味方、損・得、優・劣、大・小、強・弱、多・少等と常に相対的に事柄を二項に対立させ解釈します。
それを仏教では、差別観と言います。上・下やたとえ同列の区別であっても、それに固執することは、偏狭な思考を生みます。
そうした一方的なものの見方が「迷い」であり、事柄の違いばかりが強調されることで世知辛く、争いの絶えない世の中が創り出されるのです。
仏教でいう比較とは、物事に対し差別観と同時に平等観を持つことです。
そうして、差別と平等の両面を観ることを「中道(ちゅうどう)」と言い「諸法実相(しょほうじっそう)」あるいは「悟り」とも呼んでいます。

同じように、苦楽も相対的にみれば二つのものですが、単に二つのものと捉えるのではなく、苦には同時に楽の要素を備え、反対に楽には苦の要素が備わっていると思考できることが仏の悟りなのです。

ですから、悩むことは同時に向上を約束する大切な心の働きといえます。
そして、向上への道筋を示すものが教えであり、そのプロセスが前の四つのカテゴリーなのです。

泥中の蓮華

さらに蓮華は、それが汚濁の泥沼に咲く意味を私たちに語りかけます。
清浄と汚濁は対極にあり、浄と不浄は二つに分けられるものです。
しかし、清浄な蓮華が汚濁の泥沼に咲く姿は、浄・不浄が一体となっています。
別の見方をすれば、不浄な泥を養分として大輪を咲かせるのが蓮華です。
このことは、何を私たちに問いかけているのでしょうか。

不浄なものを避け、それを排除したいと常人は考えます。
それは泥を避け、蓮華だけを得ようとする虫の良い話なのです。
では、蓮華と共にある泥は何を示すのでしょう。
それは、私たちが忌み嫌い、排除したいものです。
苦・悪・敵・損・劣・小・弱・少等、前に述べたものです。
そして、私たちが好む楽・善・味方・得・優・大・強・多の対極にあるものです。
もし苦・悪・敵等を排除したなら、同時に楽・善・味方等も失うことになる。
それが泥に咲く蓮華が、私たちに示す大切な教えなのです。

苦を避け、悪を避け、敵を避け、排除すれば、人生の大輪を咲かせることができる。
そう考えることは、迷いでしかないと仏は教えます。
苦や悪、そして敵、それは負の要素であると判断することは「思考停止」であると、仏ならお叱りになるでしょう。
「だから迷える人は、苦から離れることが楽だと思う偏見に陥っているのだ」と重ねて述べられるに違いありません。

「悪だ、敵だ」と言って他者にレッテルを貼り、その人に対して理解を止めること、それ自体を思考停止というのです。
決めつけることによってスッキリする、そのことが人間の弱さや浅はかさを表しているのかもしれません。
仏教では、このような行為を懈怠(けたい)と戒めています。

悪は悪として裁かなければならないことは当然ですが、悪は同時に善でもあるというのが蓮華です。
世の中の悪を見つつ、自己に潜在する悪を観ることによって用心が生まれ、同時にそれが他者を憐れむ慈悲にもなると気づけるのです。

また敵は、こちらの弱点を攻めてきます。
自己の弱点や非を知ろうとすれば、賛同者よりも反対者の方がむしろ味方といえるでしょう。
ライバルがいるからこそ、切磋琢磨できることもそれを表しています。

相対即絶対

「負の存在」は「正の存在」それが妙法蓮華経が表す真理といってよいでしょう。
負と正は、相対的関係であると同時に、切っても切れない有機的関係といえます。

あらゆる文化や文明は、負から生まれているのです。
不便が便利になり得たこともそうであり、創造はゼロや負から出発したものです。
「失敗は発明の母」というのも負から正への転換、ネガティブからポジティブへの蘇生(そせい)といえます。

差別と平等の関係性は「二而不二(ににふに)」「善悪一如(ぜんあくいちにょ)」と説かれ「差別即平等」とも表現されます。
この思想が、蓮華という二文字の中に込められているのが、妙法蓮華経なのです。
「即」という文字は「不離(ふり)の義」と説明され、二つであって一つであり、一つであって二つであると解釈することです。

心身即環境

苦楽というものを分析すると、それは自らの「心身の状態」と「与えられた環境」を示しているという見方ができます。
苦楽は、自らの心身と環境によって生じるものであり、それを快く受け入れるか否かによって決まるものです。
そして、誰もが環境に身を置く限り、心身と自らを取り巻く環境とは「不離」の関係性で結ばれていることが理解できるでしょう。

その有機的関係性の中で生活を送ることが人生であり、心身を使った行為の場が環境であることを考えると、その行為から生じる因果は、心身と共に環境にも反映されるのです。

病やケガの苦しみ、人間関係による悩み、親しい人を失う悲しみ、災害による嘆き。
まさしく自身の内なる世界と、それを取り巻く外なる世界は、二つのものであると同時に内外一体の世界と言えます。
時間を示す因果は、活動の場である空間を有し、そして空間もまた因果を有していると捉えることが、仏教の因果論といってよいでしょう。
それは、ミクロコスモス〈小宇宙〉と、マクロコスモス〈大宇宙〉の相即ともいえます。

自業自得

このように、苦楽は因果によってもたらされ、過去・現在・未来の三世に一貫したものと説かれます。
そのことは「過去の因を知らんと欲せば、其の現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、其の現在の因を見よ」という経典の言葉からも明らかです。
「自業自得」とは、この因果を説く仏教用語であり、業とは行為そのものを表します。
自らの行為によって心身と境遇を得るのですから、すべて自己責任と捉えなければなりません。
まさに「因果応報」とは、これを表す言葉です。

つまり、いま与えられている苦しみの境遇は、過去の真理に背く悪業による所産であることを知り、その身の上を反省し、教えによってあらため、仏教が説く善業によって未来を展望しようとするのです。

例えば、ユダヤ教から派生したキリスト教、そしてイスラームは、天地創造・全知全能の絶対神を立て、人間を含むすべてのものを支配し、神が幸・不幸を与えると説く宗教です。
それに対し仏教は、天地創造の神を想定することや、神の支配を受けることを否定し、幸・不幸は自らの心がけを元とした行為によって生じるものと説きます。
それが、因果の教えであり「自業自得」とも呼んでいるのです。

お釈迦さまが、生誕の折に天地を指さし「天上天下 唯我独尊(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)」と述べられたことは、これを象徴するものです。
天にも地にも、私たちを支配する神などは無い。
人間の貴賤は、生まれた家柄や血筋によるのではなく、心と行為そのものであると。

前に述べたように「苦悩無き人生は夢物語」であるとすれば、幸福とは何かという疑問に突き当たります。
それは、蓮華の二文字に象徴されるように「境遇に翻弄されない自己に生きること」といっても過言ではありません。

もし、今ある心身や環境から起こる苦の実体を知らず、自己の行為に対する責任を放棄して他者や環境に転嫁し、自ら不幸のレッテルを貼っているとしたら、その人生に光明が差すことはないでしょう。

会社経営を例にとれば、売り上げが落ち込んでいる時、売り上げの少ない他社を引き合いに出して「あの会社よりは売り上げが多い」とうそぶき、現状に眼をそむけ経営努力を惜しみ、思考停止に陥った経営者に未来がないことは想像に難くありません。

一方で、自己を甘やかすことなく、自己の置かれた現状を直視し、それを冷静に分析することは、理想を描き出すと共にその道のりを模索することになるでしょう。

生きる実感

その刹那、刹那の時間と空間に、自己の心身のすべてが宿ると考えるならば、その人生は濃密になるばかりか、反省と向上に裏打ちされたものになるに違いありません。
生きる実感とは、この瞬時の連続の中に存在するものといえるのではないでしょうか。
そして、その空間こそが価値ある働きの場となることでしょう。

むしろ苦難や困難が起きるたび、保身を忘れ、現状を客観的に認識し、今まで克服していなかった諸問題に気づいて解決策を打ち出すことが、人生の活路を見出す要素だといっても過言ではありません。

「人生は山あり、谷あり」と例えられますが、谷を埋めてしまうと同時に山は無くなるように、苦は気づきであり、自己を高めるものと認識することによって、蓮華の大輪は人生に咲き誇り、人の眼も楽しませてくれます。
その情景を幸せ(仕合せ)と呼ぶことに、異論をさしはさむ余地はないはずです。
仏なら、そのような承認欲求こそが、生きる価値であるとおっしゃるに違いありません。
そしてその価値が対価に転換される時、その社会は健全であるといえるでしょう。

利他即自利

すべての「縁」の中で幸福を語るのが仏教です。
それは、人間を含めすべてのものが、互いに密接な関わりをもって生きているからといえます。
このことを踏まえ、法華経は「人は一人では幸せになれない」という結論を熱心に語りかけます。
この真理を普遍化することが、仏の唯一つの願いなのです。

文化や社会、宗教、そして経済のグローバル化は周知のことですが、ことに経済のサプライチェーンを例にとると、自国の国益のみを追求し、それがかえって国家間の火種となることは国際情勢を見れば明らかです。
また、個人レベルにおいても同じことが言えます。
自分にとって自分が一番大切であるのと同じく、他人にとっても自分が一番大切であることに気づかなければ、平気で他人を傷つけてしまうものです。

「利他(りた)」を忘れた「自利(じり)」がたどる運命が、個人や世界を問わず、悲しい結果を生むことは自明の理であるにもかかわらず、その過失から学ばないことは、むしろ「無関心の罪」と言わざるを得ないでしょう。
人類の持つ知恵は、世界を滅ぼすためにあるのではないはずです。

ミクロ即マクロ

「だから、視野をもっともっと自分以外にも大きく広げよう」「私は、私を取り巻くすべての環境の生きとし生けるもの、そして山川・草木・国土の一つひとつと互いにリンクしているんだ」「私の心、私の行動、つまり私の人生のひとコマ、ひとコマが、世界そして大宇宙とリンクしているんだ」という発想に行き着いた時、初めて自己の尊厳、そして自己の責任の重要性に気づき、新たな時代への志向が始まると法華経は説きます。

そして、自分と他人のみならず、善と悪・苦と楽・煩悩と菩提・生死と涅槃・穢土と浄土・ミクロとマクロ・永遠と刹那・私と世界等々は、一見対立するように見えて、実は表裏一体として現実に存在していると理解した時、一切の対立を超越した平和な世界が描き出されます。

法華経をこよなく信仰した童話作家の宮澤賢治氏は、これを「世界が全体、幸福にならないうちは、個人の幸福は有り得ない」と言う言葉で『農民芸術概論綱要』に表現しました。
世界が私の全体、そして私の全体が世界と捉えた瞬間、自己の意識は世界の意識へとリンクするのです。

そのようなお釈迦さまの世界観を抜きにして、自己の幸せを語ることはできない。
そう確信した時、信仰は信心へと進化します。

大曼荼羅

その絶対救済の世界、絶対平和の世界を描いたものが、日蓮聖人の御心に映し出された大曼荼羅御本尊(だいまんだらごほんぞん)であり、法華経に示されたお釈迦さまの求める幸福観です。

日蓮聖人が、種々のご苦難にあいながらも法華経をお弘めになり、現実世界に浄土を実現しようとされた御生涯は、そうした幸福観を思い描かれてのことでした。

その御生涯の中で、お釈迦さまの大慈悲に抱かれ守護されている実感、その喜びが「南無妙法蓮華経」と口からこぼれ出ることを、私たちに「唱題(しょうだい)」と言う言葉でお示しになられたのです。
感激があれば、それを人にも伝えようと思うのは自然な心の働きです。
それが法華経を弘める原動力となったことは、言うまでもありません。

真の喜び、真の幸福観を普遍化すること、それが利他であると同時に自利にも繋がるからこそ、信念は揺るぎのないものとなるのです。
そうした思いに立ち、お釈迦さまの願いを自らが担うことに喜びを感じ、これを使命として実践する今を「仏と同体になる今」と言います。

なぜなら、今という刹那、刹那の実践の中に、尊きお釈迦さまの全体が備わっているからです。
身も心もお釈迦さまと同じ時を歩んでいる自己は、真理に満たされた自己、功徳に満たされた私といってもよいでしょう。
つまり、幸福とは信心の終着点にあるのではなく、お釈迦さまの本願に邁進する行為の瞬間、瞬間に存在するといえるのです。

これを法華経は「一心に仏を見たてまつらんと欲して、自ら身命(しんみょう)を惜しまず。時に我及び衆僧(しゅぞう)、俱(とも)に霊鷲山(りょうじゅせん)に出(い)ず」と『如来寿量品』で表現しています。

娑婆即浄土

また、お釈迦さまの本願に邁進する行為の中に、浄土も自然に現れるものと法華経は説きます。
このことを確信し行動を起こした瞬間から、日常の些末な欲望は、この世界に浄土を実現しようとする、巨大なスケールへと進化を遂げることでしょう。

その時ちっぽけな自己は、永遠の時空間に身を置く存在として、永遠のお釈迦さまとリンクし、絶対の救済を体現することができるのです。
そしてその行動は、戦争や犯罪、天変地異といった異常な生滅変化を超越した仏の国土、永遠の浄土をこの国土に醸し出すに違いありません。

日蓮聖人は、その世界観を「立正安国(りっしょうあんこく)」の四文字をもって表現されました。
真の欲望の充足と自己実現は、ここにあるといってよいでしょう。
本当の幸福、本当の自己実現は本当の浄土から生まれ、それは本当の信心から生まれるものと、仏は情熱を込めてお説きになられます。

有名な「願わくはこの功徳を以て、普く一切に及ぼし、我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」という『化城喩品』の経文は、これに同意する私たちの信心を象徴するものといえるでしょう。

一念三千即唱題

お釈迦さまが、私たちの救済を願われる「大慈悲の一念」と、私たちが救済を求める「信心の一念」が一つに溶け合い、この世界に永遠の浄土が約束されるという「一念三千(いちねんさんぜん)」の法門。
その功徳は『妙法蓮華経』の題目の五字に備わっていると説く法華経。
法華経に絶対の信心を捧げて題目を唱える時『妙法蓮華経』の五字は『南無妙法蓮華経』の七字となり、私はお釈迦さまの救済の御手に抱かれ、お釈迦さまと一つになるという信心の世界。
これこそお釈迦さまが私、私がお釈迦さまとなる二而不二、一如の境地を味わう決定的瞬間です。

「南無」の一声は、父であるお釈迦さまの大慈悲を一心に受け止める表明であり、お釈迦さまの御手に身を投じる行為とも言えます。
まさしく、お釈迦さまの五字を体現することに他なりません。
時を置かず、その場所は自然に仏と共に生きる浄土となっているのです。

すべての人々がこの思想を信じ、お釈迦さまを唯一無二の父と敬愛する時、あらゆる対立は融和へと歩みを進め、壊れることのない幸福を享受すると法華経は説きます。

前述の『如来寿量品』の「一心に仏を見たてまつらんと欲して、自ら身命を惜しまず。時に我及び衆僧、俱に霊鷲山に出ず」の経文は、私たちにそうした世界を示しています。

大曼荼羅御本尊が示す絶対平和の世界観はここに端を発し、私たちに実現を求めています。
そう確信し題目を唱えた時、大曼荼羅の中央に配された南無妙法蓮華経は、わが心身として光明を放ち、人々の心中に真の幸福の種を植え付けるに違いありません。
それが、法華経が求める信心の証と言えるでしょう。
この大曼荼羅は、仏の悟りと私たちの信心がひとつに相即する絶対救済の世界を表現していることから、根本尊崇(こんぽんそんすう)を略し「本尊」と名づけられたのです。

開顕の思想

法華経全体を貫く思想を、一言でいえば「開顕(かいけん)」の二文字です。
また、それは「統一」と言う言葉で解釈できます。
法華経の二十八章を簡明にすると、前半十四章の迹門(しゃくもん)は「教えの統一」後半十四章の本門(ほんもん)は「仏の統一」について、説かれていると言ってよいでしょう。
この迹門・本門をまとめると「仏教の統一」となり、法華経が説かれた唯一の理由を示しています。

教えの統一とは、前半の中心となる『方便品』の教えの中で、生きとし生けるものが仏に成る可能性を示し、その尊厳性と平等性が説かれていることです。
これを「仏性(ぶっしょう)」と呼び、すべてのものが仏の性質を備えていると解釈することができます。

また一方では、仏の心身や功徳の全体が、唯一この法華経に「仏種(ぶっしゅ)」として宿っていると説きます。
「仏性」は先天的に自己に内在するものですが「仏種」は後天的に、そして外的に下されるものです。
ですから、仏種の宿る法華経を媒介としない限り、仏には成れないとお釈迦さまは力説されるのです。
法華経はすべてのものに「仏性」を認め、すべてのものは「仏種」を媒介として仏に成ると説きます。

教えの統一

ここで、法華経と法華経以前の教えとの関係性の要旨を述べたいと思います。

お釈迦さまは、30才で悟りを開かれ、80才のご入滅に至るまで、50年にわたり教えをお説きになられました。
ご生涯を通して説かれた、それらすべての教えを「一代仏教」と呼びます。
その間説かれた代表的な経典を挙げると、小乗仏教の阿含経、大乗仏教の華厳経・大日経・無量寿経・大般若経・法華経・大般涅槃経等があります。

そこで、法華経が説かれたお釈迦さまの年齢を調べてみると、晩年の72才前後に説かれたことがわかります。
それは法華経の『従地涌出品』で弥勒菩薩が「是れより已来(このかた)初めて四十余年を過ぎたり」と語られた言葉で明らかです。

また、妙法蓮華経の直前に説かれた『無量義経』の「四十余年には未(いま)だ真実を顕さず」や『方便品』の「世尊は法久しうして後、要(かなら)ず当(まさ)に真実を説きたもうべし」の経文を見ると、30才から72才に至るまで、長年他の経典を説いてきたのは、真実の教えである法華経を説くための方便、手段であったことがわかります。

さらに『方便品』では「正直に方便を捨てて、但(た)だ無上道を説く」と、未曽有の宣言をされています。
ご苦労の上、四十余年にわたって説かれた教えを、いとも簡単に「捨てよ」と言う一言で他の経典を一掃されたのです。
この情景を思い浮かべると、まさに「青天の霹靂」と言うしかありません。説法の座におられた弟子や信者は、さぞや愕然としたことでしょう。

この「方便を捨てて」の「捨」の文字は、法華経前半の迹門を代表する一文字です。
すべての教えを法華経に統一する、注目すべき文字といえます。
捨てるべき「方便」とは、法華経以前に説かれた前述の小乗の阿含経、大乗の華厳経・大日経・無量寿経・大般若経等に代表されるすべての経典であり、一方の「無上道」とは、真実の教えを示し、それは法華経であると宣言されたのです。

では、なぜ最初から法華経を説かなかったかという疑問が残ります。
前に述べたように、お釈迦さまご在世の説法の順序を振り返ると、30才から72才までの42ヶ年は方便の教えをお説きになられ、その後72才から80才までの晩年8ヶ年は法華経をお説きになられました。
その説法の順序には、必然的な理由があったからです。

人は生まれた境遇や性格・個性・性別・貧富等様々な違いがあり、また教えを受ける個々の能力にも格差があります。
仏はそれに対応して、様々な教えを説かれました。
こうした説法を、医師が個々の病に応じて薬を処方する「応病与薬(おうびょうよやく)」や「随他意説法(ずいたいせっぽう)」と表現します。
そうした経緯から、膨大な経典が生まれていったのです。

法華経以前のすべての教えは、このような意図をもって説かれました。
真実の教えを信じ受け入れる能力を養成するための説法、それを仏は「方便」と名づけられました。
そして方便は真実を説くための手段であり、法華経が説かれる時、その役割を終えるというのです。
このことは、仏の大慈悲がいかに深く、そして当時の人々がいかに素直に、そして根気よく教えに耳を傾けたかを物語っています。

法華経によれば、このように長きに渡り教えを聞き続けた人々は、元々久遠という遠い過去に「仏の種」を仏から頂き、それを失わずに抱き続けていた信心深い方々でした。
「仏種」の二文字は「仏性」と共に、法華経の前半のテーマである「教えの統一」の根拠となっています。
一言で言えば、この仏種を有している経典が唯一法華経であることから、真実の教えと仏は断言されたのです。

人々の目線に降りて説かれた教えが、方便の「随他意説法」と言うのに対し、自らの悟りに随って本音を説かれた法華経が真実の「随自意説法(ずいじいせっぽう)」と呼ばれるのは、仏性のみならず仏種が説かれているか否かによると言えます。
それを『方便品』で「唯(た)だ一乗の法のみ有り、二無く亦(また)三無し」と仏は表明されています。
つまり一乗の法、法華経のみが、すべてのものに仏の性質を認め「仏種」と言う名の下に仏の全体、遺伝子が宿っていると説かれたことになります。

それは、法華経を信じ修行するすべてのものが、仏の種を獲得し、現世においてこの身このまま即身成仏することへとつながるのです。
法華経の直後、入滅に際して説かれた『大般涅槃経』の目的が、法華経を未来永劫に留め置く遺言であったことは、これを示す重要な根拠となっています。
従って、仏教徒であるか否かは、この遺言を守るか否かに掛かっていると言って良いでしょう。

仏の統一

これまで、法華経の前半、迹門の特徴である「教えの統一」について述べましたが、後半、本門の特徴である「仏の統一」についても述べてみたいと思います。

法華経以前の経典に登場されるお釈迦さまは、今より三千年前、私たちが住む欲望にまみれ汚れた娑婆世界に、人として出現されました。
そして、悟りを得てわずか50年の説法の後、入滅されました。そのため、大日如来や阿弥陀如来・薬師如来等のすべての仏より劣る仏と説かれていました。
しかし、この定説は法華経本門の中心である『如来寿量品』の教えで覆されたのです。
迹門の「教えの統一」同様、これも未曽有の出来事でした。

「汝等(なんだち)諦(あきら)かに聴け、如来秘密神通之力(にょらいひみつじんづうのちから)を…中略…我実(われじつ)に成仏してより已来(このかた)、無量無辺(むりょうむへん)百千万億那由他劫(ひゃくせんまんのくなゆたこう)なり」

「如来秘密神通之力」とは、如来が今まで明かすことのなかった仏の永遠の寿命と、三世に一貫した永遠の救済を表現しています。
この教えにより、お釈迦さまの寿命は無常より常住へ、その救済も有限より無限へと転換されました。
さらに、釈迦一仏の御身が大日如来や阿弥陀如来・薬師如来等と名前を変えて、他の世界でも救済活動をされていたことが明らかになったのです。

「今、此の三界は皆是(こ)れ我が有なり《主の徳》其の中の衆生は、悉(ことごと)く是れ吾が子なり《親の徳》而(しか)も今此の處(ところ)は、諸々の患難(げんなん)多し。唯(た)だ我一人のみ能(よ)く救護(くご)を為(な)す《師の徳》」

この迹門『譬喩品』の文は、本門『如来寿量品』に至って無限の救済へと深化します。

「常に法を説いて、無数憶の衆生を教化して、仏道に入らしむ《師の徳》」
「我が此の土は安穏にして、天・人、常に充満せり《主の徳》」
「我も亦(また)為(こ)れ世の父、諸々の苦患(くげん)を救う者なり《親の徳》」

永遠の守護を誓う《主の徳》永遠の教導を誓う《師の徳》永遠の慈愛を誓う《親の徳》
仏は永遠の命を本体とし、この「三徳」のはたらきによって何時の世に生きる人も、そしてあらゆる所で生活する人も、救済すると誓われているのです。

時空を超越し、永遠と普遍の救済を約束する仏。
この仏を古来より「久遠実成本師釈迦牟尼仏(くおんじつじょうほんししゃかむにぶつ)」や「久遠の本仏」「久遠の釈尊」あるいは「本門の教主釈尊」等と呼び表します。
そうした、すべての人々が崇めるべき根本の仏の悟りの世界、救済の世界が「大曼荼羅」として描かれ、それを日蓮聖人は「本門の本尊」と表現されました。

ここに、唯一無二の根本の仏「本仏(ほんぶつ)」は「本門の教主釈尊」と定まり、それ以外のすべての十方三世の諸仏は仮の仏「迹仏(しゃくぶつ)」と称されます。
この迹仏に当たるのが、大日如来や阿弥陀如来・薬師如来等の一切の仏であると宣言されたのです。

浄土の統一

仏の統一に伴い、その根本の仏である久遠のお釈迦さまがお住まいになり、常に教えを説き続けておられるこの娑婆世界こそが、真の浄土であることも『如来寿量品』でお示しになっています。

「我が此の土は安穏にして天・人、常に充満せり」
「我が浄土は毀(やぶ)れざるに」

この教えが説かれた瞬間、はかなくも大日如来や阿弥陀如来等は幻影に、それら仏の浄土も虚しく無に帰しました。
そして様々な経典で説かれたすべての仏は久遠実成本師釈迦牟尼仏に、すべての浄土は娑婆世界に統一されたのです。

もはや、浄土を娑婆世界以外の西方極楽浄土等に求める必要などまったく無いと、仏は断言されました。
「娑婆即寂光浄土(しゃばそくじゃっこうじょうど)」あるいは「娑婆即本国土(しゃばそくほんこくど)」の表現はそれに由来するものです。

一大事因縁

久遠釈尊の本願は、法華経の本門『如来寿量品』の中でこのような言葉をもって述べられました。

「毎(つね)に自(みずか)らこの念を作(な)す、何を以(もっ)てか衆生(しゅじょう)をして無上道(むじょうどう)に入り、速かに仏身を成就することを得せしめんと」

この宣言は「釈迦如来の寿命無量」をもとに時空を超越し、絶対の救済を約束された仏教史上もっとも重要な御言葉といっても過言ではありません。

このように、今まで明らかにされなかった根本を顕すことを「開顕」と呼びます。
法華経は「衆生成仏の可能性」と「仏陀救済の永遠性」の二大特徴を開顕した唯一無二の経典であることを、仏は自ら『方便品』で「唯(た)だ一大事因縁を以ての故に世に出現し給う」と宣言されました。

仏はこの二大開顕をもって、法華経を「正法(しょうぼう)」あるいは「真実」と定め、法華経以外の経典を「方便」と呼び慣わしたのです。
そして、二大開顕を中心とする法華経のいずれの文意、底流にも、前に述べた「一念三千」と言う至極の真理が貫かれていることを意識しなければなりません。

妙法蓮華経の五字による末法時代の救済

ことに、仏が今を生きる私たちに対し、いかに心を砕かれているかは、『法師品』『見宝塔品』以下を見ても明らかです。
その中心となる教えが、法華経の本門『従地涌出品』と次の『如来寿量品』です。

『従地涌出品』では、お釈迦さまが悠久の昔より手塩にかけて育てた本弟子「本化上行菩薩(ほんげじょうぎょうぼさつ)」が登場し、その存在がお釈迦さまの寿命を有限から無限へと誘います。
そして、救済の対象が未来永劫へと志向することも『如来寿量品』で確かなものとなっていきます。

その久遠のお釈迦さまが、私たちが住む悪世、末法時代を救うため「題目」の「妙法蓮華経の五字」を良薬として調合されました。
それを『南無妙法蓮華経』と唱え、服用すれば病は癒えると説かれていることに、私たちに降り注がれている仏の大慈悲の一念が、いかに深いかを感ぜざるを得ません。

「この好き良薬を今留めてここに在(お)く。汝取つて服すべし、差(い)えじと憂うることなかれ」『如来寿量品』

仏の本懐は、妙法蓮華経の五字の良薬によって末法を救いきることであり、この題目こそ末法を救う唯一無二の法であると経文は訴えかけてきます。
それは本仏悟りの法、即ち「本法」と称され、仏が久遠の昔にすべての真理を悟られた智慧と慈悲の結晶であり、仏の持つすべての功徳が込められています。
言いかえれば、久遠のお釈迦さまの全体とも言えるのが「題目」です。
ですから、他の方便の経典に頼らずとも、題目を「南無」の二文字で受け持(たも)つことによって、仏の全体を譲り与えられると強調されるのです。
この『南無妙法蓮華経の五字七字』こそ、末法を救済する要の法、即ち「要法」であり「本門の題目」です。また、題目を「一大秘法」と呼ぶのもこのような理由からです。

お釈迦さまは、自らの入滅後を正法、像法、そして末法という時代に分けられ、時代を経るごとに仏教が衰退していくことを記されました。
『大集経』では、その三つの時代をさらに五つに分けられ、時代の様相を詳しく述べられています。
お釈迦さまが「時」を重要視され、その時代に応じた教えを遺されたのは、仏教が無秩序に広まることを恐れておられたからです。
そのため、お釈迦さまは時代ごとに弘める教えを指定されておられるのです。
これを理解した上で教えを弘めなければ、仏の願いに背くことになりかねません。

とりわけ、末法時代の有り様を「闘諍堅固(とうじょうけんご)」「白法隠没(びゃくほうおんもつ)」と記されました。
この時こそ本門の法華経、題目が広まる時であることを、法華経の『薬王菩薩本事品』に「後の五百歳、閻浮提(えんぶだい)に於て広宣流布(こうせんるふ)せん」と述べられています。
この仏の御言葉に呼応することが仏教徒といえるでしょう。

仏が姿を隠されて二千年以降の末法という時代は、正しい道理よりも我欲を優先し、それをかなえるため財力や権力、果ては武力といった「力」で他と争い、弱者を制圧する時代であると説かれています。
優越といった永続性のない幸福感を求めるために、人々は生きるというのです。
そうした悪思想に侵され、お釈迦さまを信じる心を失った病人を「失心の狂子」と例え、それら人々の心身が映し出す苦悩の時代を悪世「末法時代」と記されました。
ただ自己を信じ、仏に対する尊敬の念や信仰心を失ったところから「悪世」とも表現されるのです。前述の「闘諍堅固」「白法隠没」はすでに的中しているのです。

『如来寿量品』によれば、末法は仏種を失い正しい教えに背く「謗法者(ほうぼうしゃ)」が充満する時であることがわかります。
そのような人々が、三千年前の弟子信者にならって、まず四十二年の方便の教えを聞き、その後に真実の法華経を聴聞することを願うはずなどありません。
ましてや、法華経以前の方便の経典で説かれていたように、六波羅蜜(ろくはらみつ)の菩薩の修行を三阿僧祇百大劫(さんあそうぎひゃくだいこう)等という想像を絶する期間修行して仏に成ることなど、雲をつかむような話といってよいでしょう。

法華経修行の肝心

末法の法華経の修行とは何か、その姿は『常不軽菩薩品』に見い出すことができるでしょう。

題号の常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)は、悪世の誤った信心をもつ僧俗の人々を礼拝し「我れ深く汝等(なんだち)を敬う。敢えて軽慢(きょうまん)せず。所以(ゆえ)は何(いか)ん。汝等は皆菩薩の道を行じて、当(まさ)に作仏(さぶつ)することを得べし」と唱え続ける生涯を送られました。
「専(もっぱ)ら経典を読誦せず」「常に是の語を作(な)す」修行をし、仏教の正しい道理を知ろうとしない人々から、悪口や暴力等の迫害を被ってもひるまず、なおも人々を礼拝し、この言葉をひたすら唱え続けられたとあります。
そしてこの常不軽菩薩こそ、自身の過去世の修行の姿であったと、お釈迦さまは告白されたのです。

このことは、たとえ迫害を加える者であっても、その人が本来は仏であることを一途に信じ「我れ深く汝等を敬う……」と唱え続けることが、末法に教えを弘める姿であることを示しています。
そして悪世の人々を礼拝し、常にお唱えになったこの言葉こそ、末法を救済する仏種の教えであり、末法今日における題目であると位置づけられます。

日蓮聖人が、常不軽菩薩の唱えられた言葉を『顕仏未来記』で「彼の二十四字と此の五字とは、其の語殊(こと)なりと雖(いえど)も其の意、之(これ)同じ」と説かれたのは、それを意味しています。

久遠のお釈迦さまが末法時代という悪世を見通し、唯一つ題目の仏種を留め置かれたという答えが、経文より導きだされるのです。
それは、仏種を失った末法の人々の心に、再び仏種を下さなければならないという、仏の強い一念を示すものといえるでしょう。

仏の使い

法華経をさらにひもとくと『如来寿量品』に「使いを遣わして還(かえ)って告ぐ」とあるように、仏種は仏が自ら下すのではなく、使いの手に託されることがわかります。
この経文によれば、悪世末法に題目を弘める任は、久遠のお釈迦さまから前述の「本化上行菩薩」へと委ねられるのです。

『見宝塔品』以来、仏は末法に法華経を弘める人を五度にわたり募集しました。
しかし経文には、名立たる文殊・普賢・弥勒・薬王・観世音菩薩などは迫害を恐れ、末法の弘教に尻込みをしていたことがうかがわれます。娑婆世界出身で無いこの菩薩たちの心情がそれを邪魔していたことは明らかでした。
その中で、ついに覚悟を決めたのが八十万億那由他の菩薩たちでした。他の菩薩よりも高徳の菩薩であることは『勧持品』を見ればわかります。

しかし、仏はこの言葉で一蹴されたのです。
「爾の時に仏、諸の菩薩摩訶薩衆に告げたまわく。止(や)みね、善男子(ぜんなんし)、汝等(なんだち)がこの経を護持せんことを須(もち)いじ」『従地涌出品』
「止みね、善男子」無情に響くこの一声が示す先には、この高徳の菩薩たちも娑婆世界出身の菩薩では無いため、その任をまっとうできないことが表されていました。
まさに『見宝塔品』で「此の経は持ち難し」と説かれたのはこのことだったのです。

先の『方便品』の「捨」は「法の統一」を意味し、この「止みね善男子」の「止」の一文字は末法の「導師の指定」を示す重要な文字と心得なければなりません。
法華経を読み解けば、その導師への委嘱は『法師品』『見宝塔品』で事(こと)が起こり『従地涌出品』『如来寿量品』で事が顕れ『如来神力品』『嘱累品』で事が極まります。
その舞台こそ『如来神力品』であり、同時に「仏の未来記」として末法の救済を予言しているのです。

「爾の時に仏、上行等の菩薩大衆に告げたまわく、諸仏の神力は是の如く無量無辺不可思議なり。若し我是の神力を以て無量無辺百千万億阿僧祇劫に於て、嘱累(ぞくるい)の為の故に此の経の功徳を説かんに、猶お尽くすこと能(あた)わじ」『如来神力品』

まさに、前の『法師品』から『嘱累品』までの教えは「末法救済のシナリオ」と表現してもよいでしょう。
そこには、仏は不滅であるにもかかわらず、あえて入滅の姿を示し、末法という時代に相応する弟子を派遣するという、特別な事情を垣間見ることができます。
仏眼によって末法を俯瞰(ふかん)した、久遠のお釈迦さまの末法救済のシナリオ、それは『如来神力品』と次の『嘱累品』によって完結するのです。

末法に焦点を当てて法華経を観れば、仏は久遠のお釈迦さまに、教えは妙法蓮華経の五字に統一され、導師は本化上行菩薩へと純化されます。
その本化の菩薩の出現の時期や由来は、法華経の随所に散見されます。
ことに『勧持品』や『常不軽菩薩品』前述の『薬王菩薩本事品』等の経文に、その出現の時代や処、弘教の方法、それによる受難等が具体的に説かれていることに着目すべきでしょう。

出現の時代は、道理より利害を重んじ、力による支配欲旺盛な末法時代。
所は天竺より東北、仏教乱立の小国。
そして、弘めるべき教えを妙法蓮華経の五字と示し、この題目を折伏(しゃくぶく)という方法で弘めることにより、時の民衆からは悪口や罵倒、それが高じると刀で切られ、杖で打たれ、瓦や投石等の暴力を受け、僧侶をもそれに同調すると説かれます。
重ねて、時の為政者やその配下は、聖人と仰がれる名高い仏教僧と共謀し、本化の菩薩を寺所から二度以上追放するというのです。『勧持品』では、法華経の行者に迫害を加える僧俗の人々、そして偽聖者を「三類の強敵」と称し、詳しくその姿が描かれています。

経文と現象の一致

仏の未来記が真実か否かは、経文の通り末法を救済する本化の菩薩が出現し、法華経を弘めるにあたり、この迫害等の条件を完璧に満たすか否かにかかっています。
もしその事実が無かったなら、法華経は久遠のお釈迦さまの虚言となり、引いてはそれを証明した多宝如来と、未来永劫にこの経を留め置く誓願をしたすべての仏は同罪になるのです。
このことは、仏教の存亡にかかわる最大事といえるでしょう。

委嘱の人、本化の菩薩の出現。その鍵を握るのが日蓮聖人です。
末法において、経文に示された数多の条件を満たし、釈尊出世の本懐である法華経を弘め題目を勧めた人が、日蓮聖人を差し置いて、他宗の宗祖の中にいらっしゃるでしょうか。

日蓮聖人のご生涯を時系列に述べれば、題目を初めて公けに唱え、宗旨を宣言された開宗の地、安房清澄寺からの地頭による追放。
幕府に『立正安国論』を上奏した直後、念仏門徒から受けた松葉ヶ谷草庵の焼き討ち。
幕府の権力者からの伊豆流罪。
故郷の地頭による小松原での刀杖の難。
幕府の権力者と聖者と崇められた仏教僧が共謀し、由比ヶ浜の刑場、龍口での斬首の難。そして、幕府の執権による二度目の流罪が佐渡島となります。

佐渡の地において述作された『開目抄』では、このように述べられております。

「すでに二十余年が間この法門を申すに、日々月々年々に難かさなる。少々の難はかずしらず。大事の難四度なり。二度はしばらくをく、王難すでに二度にをよぶ」

文中の「大事の難四度なり」を前の受難に配当すると、悪口や罵倒の難は、生涯を通じてのことであり、刀・杖・瓦・石の難は「松葉ヶ谷草案の焼き討ち」「小松原での刀の難」「刑場龍口での斬首の難」を示し、為政者から受ける最初の追放は「伊豆流罪」そして為政者と偽聖者が結託した二度目の追放が「佐渡流罪」に当たります。

法華経「勧持品二十行の偈」のリアルな迫害の予見と、日蓮聖人の受難との一致。
それは、経文と現象の一致であり、高度な宗教にとって欠かすことのできない、道理の一貫性を示す事柄なのです。
例を挙げれば、イエスさまと聖書、ムハンマドさまとコーランの関係性も同様です。
しかし、それよりも具体性を帯びた予言の一致こそ、ここにあります。

本化の菩薩の自覚

法華経に説示される受難の一致は、法華経の行者の条件、本化の菩薩の証と言えます。
日蓮聖人にとって、その条件がすべて整った舞台が佐渡島でした。
仏の未来記を実現したご自覚を『開目抄』にはこのように表明されています。

「日蓮なくばこの一偈(いちげ)の未来記は妄語となりぬ」
「末法の始(はじめ)のしるし、恐怖悪世中(くふあくせちゅう)の金言(きんげん)のあふゆへに、ただ日蓮一人これをよめり。…中略…日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたすけん。経文に我が身普合(ふごう)せり」

久遠のお釈迦さまとの約束の履行、それが日蓮聖人のご生涯を物語っているといえるでしょう。
その自負を『開目抄』で「我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ」とおっしゃられ、仏より遣わされ、主・師・親の三徳を備えた法華経の行者の自覚を宣言されました。

日蓮聖人を「法華経の行者」と呼び「末法の唱導師」「仏使上行菩薩の応現」と称するのは、このような根拠によるものです。

そればかりか、経文の本化上行菩薩が日蓮聖人としてご出現されたということは、その菩薩を遣わした久遠の釈尊が今も実在されている、つまり生きておられる客観的証拠ともなるのです。
そこから『如来寿量品』の「方便して涅槃を現ず」の経文を解釈すると、お釈迦さまの入滅は、上行菩薩を末法に派遣するための方便、すなわち手段であったことが理解できます。
経文と現象が寸分違わず一致することは、日蓮聖人によって示されました。
法華経の経文が、日蓮聖人の肉体をもって自己実現したとも表現できるでしょう。

受難と滅罪

法華経の弘教にともなう迫害は、真の法華経の行者の裏付けであり、本化の菩薩の証明ともいえます。
もう一面では、私たち末法に生まれたの人々の過去の罪をあぶり出すものと、日蓮聖人は捉えておられます。

『開目抄』で「不軽品に云く、其(そ)の罪を畢(お)え已(おわ)りて等云云。不軽菩薩は過去に法華経を謗じ給ふ罪、身に有ゆえに、瓦石をかほるとみへたり」と述べられるのはそれを示すものです。

まさに、日蓮聖人は末法悪世に生まれ、迫害を通じて目の前の迫害者と同じ重罪を過去世に犯していたことを知り、それを重く受け止められました。
そして、その罪を懺悔し贖(あがな)うこと無くして、現世そして未来世の幸福はあり得ないとお考えになられたのです。
つまり、法華経の行者を自負される一方で、過去世には法華経の行者に対しての迫害者であったことも自認されておられました。

日蓮聖人は『常不軽菩薩品』によって、お釈迦さまの過去世を振り返り、常不軽という名の菩薩が法華経によって他者を救済し、過去世に犯した重罪を贖ったことを教訓にされました。
眼前の迫害者は、自らの過去世の重罪を浮き彫りにするばかりか、それを教えてくれる恩人と信じ、迫害者を救わないかぎり自己の過去世も救われないとされたのです。
三世を一貫した法華経の幸福観の指標が、ここに示されていると言ってよいでしょう。

それを『転重軽受法門』では「不軽菩薩の悪口罵詈(あっくめり)せられ、杖木瓦礫(じょうもくがりゃく)をかほるも、ゆへなきにはあらず。過去の誹謗正法(ひほうしょうぼう)のゆへかとみへて、其の罪を畢えること已(おわ)りてと説れて候は、不軽菩薩の難に値(あ)ふゆへに、過去の罪、滅するかとみへはんべり」と解釈されています。

現在の法華経の行者は過去の法華経の謗法者、この両面を合わせ見て日蓮聖人の御人格をたずねなければ、他宗に対して痛烈な批判をなされたそのご心中は理解できないでしょう。
外には法華経は真実、諸経は方便という仏法の道理によって諸宗を批判され、内には過去世の重罪を懺悔され、法華経を説くことによって迫害を受けその罪を消滅し、それを自己の救いとされたのです。
一方で、同じ末法に生きる人々に対しては、再び法華経謗法の大罪を犯させてはならないという大慈悲心の発露が、日蓮聖人を題目下種の行動へと駆り立てたことに、私たちは思いを馳せるべきでしょう。

日蓮聖人にとって、末法弘教の手本が法華経の『常不軽菩薩品』であったことは、種々の著述を見れば明らかです。

『聖人知三世事』には「日蓮はこれ法華経の行者なり。不軽の跡を紹継(しょうけい)する」とおっしゃっています。

もしある人が、日蓮聖人の他宗批判を独善的、排他的と中傷するならば、それを命じたお釈迦さまや、それを奨励したすべての仏を誹謗することになり、その行為を「謗法」というのです。

日蓮聖人の生涯の行動は、すべて法華経に準じたものと言う他はありません。
それは『大般涅槃経』に説かれた「法に依りて、人に依らざれ」という仏の遺言を、忠実に遂行したに過ぎないからです。
決して私見を交えず、持論を展開せず、ただ法華経の経文をすべての事柄の判断基準として教えを弘めること、それが真の仏弟子であると。

しかし、正しい道理を説くにもかかわらず、その報いとして迫害を受けることについて、多くの人は不条理と捉え、割りに合わないと嘆くでしょう。
三世を一貫して観るとき、迫害を加えるその人こそが、自分の過去を映し出す鏡であると法華経は説くのです。
まさしくそれは因果の道理であると、常不軽菩薩によって教示されています。

また、前に挙げたように、末法に生まれたこと自体、過去に重罪を犯している証と捉えなければなりません。
法華経によってその罪を知り、さらに法華経を弘めることで現世に罪を消滅することが、明るい未来を迎える唯一の道筋であることを、日蓮聖人は身をもって示されました。

過去を省みることなく現在を生きることが、いかに恥ずべきことか。
苦難無く未来を展望することが、いかに虚しいことか。
『薬草喩品』の「現世は安穏にして、後は善處に生ず」と説く経文を「題目を唱える者は現世にては苦難無く、死後は善い所に生まれる」と安易な解釈をしてはなりません。
末法に生まれた私たちは、久遠以来の悪業を法華経によって知り、現世に法華経を弘め、題目を唱えることで、一生の内にその罪を消滅することが「現世安穏」であり、その報いによって、善き来世を迎えることが「後生善処」と受け止めなければならならないのです。
それが「現当二世(げんとうにせ)」すなわち、現世と来世の安心(あんじん)です。

久遠という遠い昔から犯してきた数え切れないほどの謗法の大罪を、現世という短い人生の期間の中で消滅し、明るい未来世を待望することが、常不軽菩薩の跡を継承された日蓮聖人の生涯であったことを見過ごしてはなりません。
『大般泥洹経』の「転重軽受法門」は、過去の幾多の重罪による重き果報を転じて、一生という短い間に、その報いを軽く受けることを示しています。
本来ならば重罪は、それに見合う期間、悪しき報いを受けるのが当然でありましょう。
その報いを一生で軽く受ける、これが法華経を弘め、題目を下種する功徳なのです。
一方、世間で言われる「現世利益」が何を指すのかを、今一度立ち止まって考えるべきでしょう。

諸天善神の守護

諸天善神の「守護」に対しても同じことがいえます。
法華経には、この経を弘教する者に諸天善神が守護すると『法師品』『安楽行品』『陀羅尼品』等に見ることができますが、日蓮聖人が受けた法難を考えると、果たして守護はあったのでしょうか。
それは当時の人々の疑問でもあり、守護が無ければやはり法華経は真実の経典とは言い難いことになります。

しかし、日蓮聖人が法難のたびに過去の重罪を身に受け止め、題目を弘めることによってその罪を消滅されたことを思えば、諸天善神はあえていたずらに守護をしなかったと想像できます。
もし迫害のたびに守護の手を差し伸べたなら、受難という法華経の行者の証明は水泡に帰し、罪を贖う機会をも失うことになるからです。
このように考えれば「守護しないことが守護である」とも言えるでしょう。
守護という言葉には、時には見守り、命に及ぶ難があれば躊躇なく守護するという二面性があるのです。

私たちが住む現実の世界に、守護という言葉は存在するのでしょうか。
もし、存在するとしたら、前に述べた「守護無きが守護」と言うべきもので、それは「警告」と言う言葉に置き換わるでしょう。

薬師経・仁王経・金光明経・大集経等に説かれる「三災七難」は、まさに人類にとっての警告そのものです。
三災とは『大集経』に説く「飢饉」「疫病」「戦争」〈小の三災〉「火災」「水災」「風災」〈大の三災〉です。
七難とは経典により表現は異なりますが『薬師経』では「疫病」「他国からの侵略」「内乱」「星の異変」「日月蝕の異変」「季節外れの風雨」「季節になっても雨が降らず干ばつになる」と説かれています。
これらの災害や疫病は、今私たちが目の当たりしている現象ではないでしょうか。
今日も明日も、ただ謗法のみを重ねる日本人を含め、世界共通の悪業に対しての警告、それが三災七難と受け取ることができます。

「はかなき世の中に、但(ただ)昼夜に今生の貯(たくわえ)をのみ思ひ、朝夕に現世の業をのみなして、仏をも敬はず、法をも信ぜず。無行無智にして徒(いたず)らに明し暮して」『松野殿御返事』

人は、誰もが心と身で各々の歴史を創造しています。
それを生活と呼び、その舞台が環境と言えるでしょう。
しかし正法を信じることなく、ただ我欲に任せた生活の所産は、災難という現象で環境に表れるのです。

法華経が説く「一念三千」の法門は、人心と自然環境は別ものではなく相即した存在であると説き、それを「具足」と呼びます。
人という個は、あらゆる生物や自然環境という全体を具え、また全体も個を具え、互いに具え合っている「互具」という有機的な関係で結ばれていると明かされます。
そう考えると、世界で頻発する災厄は、私たち一人ひとりの悪しき振る舞いそのものと言えるでしょう。
この警告が、災難を未然に防ぐ手だてを教えるものと知れば、それを避ける道が開けるはずです。

立正安国論

もし、この警告に耳を傾けないなら、今後も三災七難が猛威を振るうことは確実です。
常の四季の移り変わりとは別に、我々が自然災害と呼んでいる天変地異や疫病は、私たちの悪心と悪業がもたらす人為的災害であると法華経は教えます。
仏の大慈悲の一念から説かれた法華経を軽視し、謗法の一念から生きる我々が迎える悲惨な末路を、何としても食い止めなければなりません。
その大慈悲から、時の北条幕府に対して奏上された警告の書が『立正安国論』なのです。
読み手はその一文一句の底流に、法華経に説かれる「一念三千」の法門があることを心得るべきでしょう。

『立正安国論』に説かれる因果関係を基にした論理構造を考えると、このようになります。
現状認識(果)— 災難興起《災難》
原因究明(因)— 正法不信《謗法》
理想設定(果)— 安穏国土《安国》
方策実践(因)— 建立正法《立正》

《災難》の由来は《謗法》であり、正法である法華経を弘めること《立正》によって謗法を止め、安穏な国土《安国》を実現する。
法華経による浄土の顕現、それが『立正安国論』の主旨といえます。

仏の眼から観れば、娑婆世界の本質は浄土ですから、浄土を創造する必要は無いとも言えます。
しかし、私たちは浄土に住むにふさわしい生活をしているでしょうか。
そうでないからこそ、この世は苦悩に満ちた穢土(えど)の様相を現しているのです。
私たちが、法華経を礎に題目を受持する生活を送るならば、まさにこの世界の情景すべてが浄土と映ることでしょう。

人類の成仏は、それに相即する国土の成仏、国土の成仏は人類の成仏。
ここに真の成仏、真の幸福があると説くのが、法華経の世界観であり幸福観です。
しかし、その幸福は終着点ではありません。
法華経を信じる人はやがて死に、また新しい命がこの娑婆世界に生まれます。
そこには「立正」を永遠に続けることが求められ、それと同時に永遠の「安国」が約束されるからです。

「永久の未完成、これ完成である」宮澤賢治著『農民芸術概論綱要』

「安国」の保全には「立正」がともなわなければなりません。
仮に安国が目的であるなら立正は手段となり、安国が叶えば立正の必要は無くなります。
しかしそうした解釈は誤りであり「立正無くして、安国無し」とする観点から理解すべきでしょう。
立正は永遠の目的であり、安国はそれに付随し、自然に譲与されるものと考えなければなりません。

その立正の修行こそ、法華経が説く常不軽菩薩の折伏行であり、末法においてそれを具現化された日蓮聖人の下種行、すなわち題目によって人々を利益する修行です。
そして、その下種行の場を「本門の戒壇」と名づけるのです。
日蓮聖人の生涯における三度の国家諌暁は、この『立正安国論』に裏付けられたものでした。

「此の三つの大事は日蓮が申したるにはあらず。ただ偏(ただひとえ)に釈迦如来の御神(みたましい)我が身に入りかわせ給ひけるにや。我が身ながらも悦び身にあまる。法華経の一念三千と申す大事の法門はこれなり」『撰時抄』

この言葉には、仏と同体になった日蓮聖人の感激の発露を感ぜざるを得ません。
立正安国論に始まり、立正安国論に終わる日蓮聖人の生涯は、絶対平和の希求に貫かれていました。
その願いは、日蓮聖人を末法に遣わした久遠のお釈迦さまの願いともいえます。

『立正安国論』の主意は「汝早く信仰の寸心を改めて、速かに実乗(じつじょう)の一善に帰せよ。しかればすなわち三界は皆仏国なり。仏国それ衰えんや。十方は悉く宝土(ほうど)なり。宝土何ぞ壊(やぶ)れんや。国に衰微(すいび)なく、土に破壊(はえ)なくんば、身はこれ安全にして、心はこれ禅定ならん。この詞(ことば)、この言(こと)信ずべし、崇(あが)むべし」と示されています。

『立正安国論』は終始一貫して「破邪顕正(はじゃけんしょう)」を旨に説かれています。
破邪顕正とは誤った考えを批判し、正しい考えを示すことです。
目の前で誤った幸福観に生き、邪まな信仰をしている人がいるならば、それを見過ごしその場を通り過ぎることは、慈悲心の欠如といえるでしょう。
例えば、目前で罪を犯そうとしている人に対し、その場で行為を止めず、罪を犯した後に正しい道を説くことはいかにも虚しいことです。

まず、悪しき思想、邪まな信仰を批判し、その後に正しい信仰に導く。
この順序は、お釈迦さまが定められた末法時代の教えの弘め方であり、これを「折伏」と名づけられました。
破邪無き顕正は無く、破邪をなおざりにして顕正を遂げようとするのは、仏への背信であり保身という他はありません。
その保身とは「自己肯定」であり、一方「南無」とは、その対極にある「自己否定」を意味します。

「南無」とは、ちっぽけで不完全な自己を否定し、久遠のお釈迦さまの全身全霊が込められた「妙法蓮華経」を受持することによって仏の救済を体現し、仏と同体になることです。
まず自己ありきの信心では、唱題も虚しく響くばかりでしょう。
自我を捨て、久遠のお釈迦さまと日蓮聖人に身を投じる境地に真の「自己肯定」があり、それが法華経の求める信心「南無妙法蓮華経」なのです。

法華経を正しく理解し、身・口・意の三業で題目を唱えるその道は、末法の唱導師、日蓮聖人が生涯を通じて歩まれた軌跡そのものです。
それは法華経の信心、そして法華経の歴史的証明と言いかえることができます。
法華経の信心とは本仏釈尊の要請に応え、日蓮聖人への共感と感動の中で口からこぼれ出る題目そのものであり、ひいてはそれが他者に感化を及ぼすことになるのです。

その喜びに基づく弘教の瞬間、あなたは久遠のお釈迦さまのもとへと移動し、久遠のお釈迦さまはあなたのもとへとお越しになるに違いありません。
その時、その場であなたは浄土を実感することでしょう。
大曼荼羅御本尊を「観心本尊」と呼べるのは、本仏釈尊と日蓮聖人と私たちがひとつになる時です。
それが、本仏・本化と感応道交する「今本時」です。

仏さまのお役に立つこと、つまり仏さまの本願に叶う人生を送ること、それが誰かのために生き、誰かのために命をつなぐことです。
ここにこそ自己実現があり、それが法華経の示す「幸福」と言えます。

「我が弟子等、心みに法華経のごとく身命(しんみょう)もをしまず修行して、この度仏法を心みよ、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」『撰時抄』

前に挙げた宮澤賢治氏が、童話作家であり、科学者であったことは知られていますが、熱心な法華経の信者であったことはあまり知られてはいません。
有名な『雨ニモマケズ』の一節「サウイフモノニワタシハナリタイ」という理想の人物像とは、法華経の常不軽菩薩であり、その跡を踏む日蓮聖人でありました。
そして末文に南無妙法蓮華経と記されていることに眼を転じていただければ、賢治氏の人生の道標が何であったかは容易に想像できるでしょう。

その遺言はこのようなものでした。

「私の全生涯の仕事とは、この経をあなたのお手元に届け、そしてその中にある仏意に触れて、あなたが無上道に入られんことをお願いするの外ありません」

あなたがもし仏意、仏の御心に触れようとするならば、どうか法華経、そして日蓮聖人が遺された御文章をひもといて下さい。
仏の使い、本化上行菩薩を通じて理解する法華経こそが、真の法華経なのですから。

真の幸福をお伝えしたく、この文章をしたためました。
これをお読み頂いたあなたが題目を唱え、そして真の幸福に目覚め、人々を法華経の教えに導いて頂けることを切に願うばかりです。

あなたの前途に幸多からんことを心よりお祈り申し上げます。

「末法には一乗の強敵充満すべし、不軽菩薩の利益此なり。各々我弟子等はげませ給へはげませ給へ」『諫曉八幡抄』

南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経