妙照山行覚寺のホームページへようこそ。
行覚寺は山梨県の身延山久遠寺を総本山とする日蓮宗のお寺でございます。
昭和三十年、行覺院日德上人により開創、その後移転し、現在は大阪市阿倍野区の長屋の一角に小庵を結び、
法華経と日蓮聖人御書の硏鑽の道場として唱導林と名付け、今日に至っております。
名称:日蓮宗
聖祖:日蓮大聖人(1222年~1282年)
開宗:建長5年(1253年)4月28日
本尊:久遠の本師釈迦牟尼仏
経典:妙法蓮華経(法華経)
題目:南無妙法蓮華経
教義:日蓮宗は、お釈迦さまの説かれた最高の教えである法華経をよりどころとする宗団です。
この法華経を身をもって読まれ、弘教された日蓮聖人を聖祖と仰いでおります。
本宗の教義は、日蓮聖人の御書を通じて法華経を理解し、その法華経の魂である題目を唱え弘めることによって、世界の平和と人類の幸福、ひいては個人の幸せにつながる事を確信できる教えです。
当山第三世の住職、中尾隆淨と申します。
昨今、お釈迦さまの教えにふれる機会が失われつつあります。
それを憂い、少しでもお釈迦さまの御心にふれて頂く機会をつくるために、このホームページを開設致しました。
お釈迦さまの教えは人生の苦悩を解決し、私たちに人生を歩む上で大切な示唆を与えてくれます。
まさに、仏教は珠玉の言葉の宝庫といえます。
教えにより生活に彩りを添えてみてはいかがでしょうか。
当山では法華経、日蓮聖人の御教えを中心に毎月2回法話の会を一般の方にも開講しております。
また、外に向けてはNHK文化センター等において、毎月『法華経に学ぶ』『日蓮聖人の御遺文を語る』というテーマで講義をし、さらにSNSを利用し、YouTubeやTwitterでも『日蓮聖人・法華経に学ぶチャンネル唱導林行覚寺』の名称で、法話の発信をしております。当山は敷居の低いお寺でございますので、どうか気軽にお越し頂ければ幸いです。
一人、そしてまた一人と、
一本の樹が森となり、
人々の心を潤す唱導の同志が
この小庵から生まれんことを
願ってやみません。
抑、當山は行覺院日德上人の開創なり
日德上人、佛祖の本願を持し、昭和三十年難波の地、生野に來錫、
立正安國祈願の道場を創す
山を妙教と名付け、寺を行覺と號す
爾來、上人此の地に住し化導に精進すること十餘年なり
後、齡九十有餘歳を以て遷化す
是より當山衰退の一途を辿ること數年、法燈暗々とす
然りと雖も佛祖の御計らいか、將又機緣熟せるものか、法燈、阿倍野の地に移りて、
第二世隨法院日就上人に繼承せられ苦難多きも復興に轉ず
顧みるに今日當山在りしは、日就上人教田開拓の賜なり
時に上人、衆生の妙法五字の光明に照らされ本有の尊形とならんこと此れ佛意と觀じ、
山を妙照と改む
又唱題を行ずを以て衆生を覺醒すと
此れ本門立行と解し、新たに行覺の寺號を釋す
昭和六十三年、日淨第三世の法燈を繼ぎ、檀越の喜捨を得、
平成二十一年本堂を再建し、唱導林と名付け現今に至る
夫れ惟みれば本堂は此れ唱題修行の道場なり
唱題讀誦の聲は晴天に響き、一乘談義の聲は四方に聞こゆ
夫れ本門の三寶は常住在し八品の儀相現前す
靈山同聽の檀越、是の如く異體同心にして南無妙法蓮華經と唱へ大曼荼羅に包攝されん
此れ道場建立の意義なり
其れ能はざれば先聖諸師の恩に報ずること無し、又安んぞ檀越をや
報恩の道は是より他に有らざるは無し
更に祈らくは、令法久住を忘失したる門下宗門を覺醒せる後進、此の道場より輩出せんことを
今明鏡を以て世の慘状を觀れば、門下宗門の懈怠は明らかなるが如し
倩微管を傾け、聊か世間を觀るに、邪教巷に割拠し人心を迷惑すと
又人、佛教徒を標榜すと雖も、佛法を學ばず行ぜず、但だ先祖供養、諸願成就に心を傾け、
徒に自我に沒し、五欲に依りて現世の安穩を求め、反りて惡道に墮す
能化も之に同じ
利養の爲の故に奇特の相を現じ、利養の爲に自ら功德を説く
祈りては、山禄倍増の聲喧しく、令法久住の聲低し
一一文文是眞佛と称すれども、經を違へて釋尊の金言を虛妄となし、
出佛身血、相似の五逆眼前なれども其れを恐るることなし
元品の無明を切る利劍は毀れ、其れに気付く者は少なし
此れ本化別頭の教學を忘れ、信を失するの科なり
一念三千は信の一字より起り、三世諸佛の成道は信の一字より起るなり
此れ信とは元品の無明を切る利劍也
其れ故、信とは疑ひ無きを信と曰ふ
疑惑断破の利劍也と
或ひは、吉凶を卜相して人の爲に法を説き、髙聲に威を現じて人をして畏敬せしめ、
處得の利益を説きて、以て人心を翻弄せんとす
此れ佛祖と諍う邪命の僧なり
是の如きの僧、門下宗門に充滿せり
其の罪甚だ重し
夫れ白法隱沒、正に背き、惡に歸するの體なり
是の如き因により、近年より近日に至るまで、恐怖惡世の相、愈々盛んにして、
末法法滅の相、凡眼にもその體、露となれり
今、正に本化付囑の大法無くんば、顚倒の衆生を醒悟し、濁惡の世を蘇生すること能はず
大良薬の流布、益々渴仰するところにして、五字の光明遂に輝かん時なり
りと雖も、當世を惟みれば髙祖の立正を忘れ、安國の意義を去れりとは過言ならず
立正安國論奏進七百五十年、題目結緣とは唱へども、南無妙法蓮華經とは唱へず
南無妙法蓮華經とは唱へども、その數若干にして、讀經、祈願を専らとす
總願を輕んじ諸願を重んじ、正行を捨てて助行を専らに修し、諸天を恃みて教主を閉じ、
廣略を取りて肝要を抛ち、受持を擱きて、讀誦、解説、書寫を行じ、五欲を煽りて門下檀越を欺く
自ら末代凡愚の僧とは知らず、時機を覺らず、方便化導を重んじ眞實を蔑ろにす
日蓮が弟子檀那別の才覺無益也との教誡を遮りて己の才覺を恃み、計我、邪見の妄語を吐す
嗚呼、嘆かはしきや髙祖大聖人の立教の志を思はず
嗚呼、痛ましきや開宗の覺悟を念ぜず
日蓮が慈悲曠大の御聲は末法今時に届かざるか
否、塔中の本化の誓願、本門八品の虛空を貫き、五字の光明、末法を照らすは妙教に明らかなり
本化大聖人、末法日本國に出現し、本佛釋尊の壽命長遠を顯し、立正安國を唱へたるは、
末法唱導師の本懷なり
然りと雖も、門下に於きて未だ立正の氣運無きは、内には法を求めざるの罪、外には法を弘めざるの咎なり
我れ、佛祖の御前に於いて、慙愧懺悔の思ひをもつのみ
今、將に髙祖大士に誓い奉らん
我れ、再び蘭室に入りて、髙祖の御教えを範とし、受持一行を心に掛け、三業受持、就中、口唱題目を先とし、
四表の靜謐を祈りて大法の鼓を擊ち、不輕菩薩の跡を慕ひて佛法を試みんと欲す
弟子一佛の子と生まれて、諸經の王に事ふ、何ぞ佛法の衰微を見て、心情の哀惜を起こさざらんやと
我れ德薄垢重の者なれども、佛祖の哀惜を惟みるに、此の道場を唱導林と名付け、
付囑の大法南無妙法蓮華經の一行を以て、内外の僧俗に受持せしめ、髙祖の本願を遂げんと欲す
此れ佛祖三寶、開山日德上人、第二世日就上人、更に我が師日道上人の恩德の萬一に資し奉る處と信ず
請ひ願はくは、佛祖三寶、髙祖日蓮大聖人、我が微衷を憐れみ、哀愍加被の御手を垂れ、
内に不輕の解を懷き、外に不輕の境を敬ひ、身に不輕の行を立て、口に不輕の教を宣べ、處見の人をして佛身を見さしめ、
三大祕法廣宣流布の大願成就なさしめ給はんことを
今身より佛身に至るまで能く持ち奉る
南無妙法蓮華經 南無妙法蓮華經 南無妙法蓮華經
維時 平成二十一年 五月 二十四日
此の文を一期に持して先聖諸師、檀越への報恩とす
妙照山行覺寺第三世 沙門 日淨 合掌和南